2024年11月12日
内外政治経済
研究員
芳賀 裕理
米国とソ連を軸に対立・対抗した東西冷戦が終結した1989以降、経済のグローバル化と貿易拡大が急速に進み、世界経済の成長率が高まった。これを支えていたのが、各国・地域を結ぶ海運だったのは論をまたないだろう。そうした中、近年は地球温暖化の深刻化や地域紛争により、海運リスクが高まっている。海上輸送の要衝であるパナマ運河とスエズ運河の現状や課題、備えるべき視点などについて考えてみた。
冷戦の終結により、東欧など旧共産圏諸国が資本主義経済圏に入り 市場統合が進んだ。資本や技術面で優位性を持っていた米国など西側企業は、研究開発、原材料調達、生産、販売などを世界で展開できるようになった。
また、1995年には世界貿易機構(WTO)が発足。中国など高成長を続ける新興国がWTOに加盟すると、欧米各国や日本などの投資拡大もあって貿易量が飛躍的に拡大。貿易拡大とともにコンテナ取扱量も上昇している。海運を中心とした貿易ネットワークが滞ると、その影響は世界中に及ぶ。
世界の名目GDP(国内総生産)と輸出額の推移(出所)IMF、JETRO
コンテナの取扱量(出所)Institute of Shipping Economics and Logistics
近年注目を集めたのが、大西洋と太平洋をつないでいるパナマ運河に対する地球温暖化の影響だ。米国東海岸とアジアの貿易を支えているこの運河は、パナマ共和国を横断するように開削して造られた全長82キロの人工的な水路。スエズ運河、北海とバルト海をつなぐキール運河とともに世界三大運河の一つに数えられている。
パナマ運河庁(ACP)によると、パナマ運河は170カ国約2000の港を結び、発着国の上位は米国、中国、日本となっている。2022年には船舶の通過が1万4000回を超え、2億9100万トン以上の貨物が運ばれた。
太平洋の水位は大西洋に比べて24センチ高く、潮位変動も太平洋側と大西洋側で差があるため、両岸を直接つなぐと急流が発生してしまう。そのためパナマ運河には、水量を調節して水面を一定にするためのせき「閘門(こうもん)」が設置されている。閘門は開閉して水位を調整することで、船舶が次の区域へ航行するのを可能にする。
パナマ運河の最高地点は、途中のガトゥン湖の標高26メートル。ガトゥン湖の水を使用して一つの閘門で8~9メートル程度の水位調整を行いながら、26メートルまで上げ、その後反対側まで下げていく。1隻が運河を通航するたびに1億9000万リットルの水量を使いながら、水位調整している。
(出所)NISSIN CORPORATION
しかし、昨年発生したエルニーニョの影響でガトゥン湖の水位は通常よりも1.8メートル程度低下し、水位調整に時間がかかるようになった。ACPは、水不足のため運河を通過する船舶数を削減。また、船舶の深さにも制限が課せられ、積載量の制約も強化された。
ACPは昨年8月に声明を出し、「adapts to unprecedented challenges(前例のない挑戦に対応)」と強調。1日に通航できる船舶数は、同年7月の36隻から年末には22隻に制限された。現在の35隻にまで回復するのに1年かかっている。
パナマ運河の通航が制限されていた時期、もう一つの海運の要衝スエズ運河についても、イエメンの武装組織フーシ派による船舶攻撃の影響で通航に支障が出ていた。
スエズ運河はアフリカとアジアの間に位置するエジプトのスエズ地峡に掘られた、地中海と紅海を結ぶ人工海面水路。北大西洋と北インド洋、ヨーロッパとアジアの海運を支えている。例えば、ロンドンからアラビア海までの航行距離は、アフリカ大陸の喜望峰を回る場合と比べて約8900キロ短縮できる。スエズ運河は2022年、船舶の通過が2万3000回を超え、およそ14億トンの貨物が運ばれた。
ロンドンからアラビア海までの航行距離
しかし、イエメンのフーシ派は昨年11月14日、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区攻撃を受けて、「紅海などでイスラエルの船舶を標的にする」と宣言。それ以降、紅海の南部に位置するバブ・エル・マンデブ海峡を中心に小型無人機(ドローン)による船舶への攻撃を繰り返してきた。その影響で多くの船舶がアフリカの喜望峰を回るルートへの変更を余儀なくされた。
このため、米国南部からアジアまで穀物などを運ぶ際、パナマ運河に加えてスエズ運河も避けて喜望峰経路を選択する必要が出た。この場合、大手海運会社ジェンコ・シッピング アンド トレーディングによると、運航日数は通常の40日よりも17日長い57日かかる。
米国南部からアジアまでの海運日数
(出所)大手海運会社ジェンコ・シッピング アンド トレーディングの情報を基に作成
日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、貨物の輸送を行う事業者フォワーダー大手のキューネ・アンド・ナーゲル(本社スイス)のドバイ中近東アフリカ統括オフィスのリー・イオン統括は、「世界で運航している約30%の船が紅海を経由しており、これが喜望峰経由となることで、世界全体の約20%の積載能力が奪われると想定している」と指摘した(2023年12月25日付けジェトロビジネス短信)。
実際、アラビア海からロンドンまで喜望峰ルートを使用した場合、スエズ運河ルートより約8900キロ長いため10日余分にかかり、燃料費など輸送コストが増加する。
米大手格付け会社S&Pグローバルのクリス・ロジャース氏は、「スエズ運河の⼿数料を差し引いても、燃料費を考慮すると、この航路の輸送コストは15%ほど上昇するほか、保険料も追加でかかる」と指摘。また、フランスの海運大手「CMA CGM」は今年1月2日、アジアから地中海地域への運賃を同15日から1.5~2倍に引き上げると発表した。
スエズ運河はいまだに通行制限が解除されておらず、今後も情勢が不透明。日本経済新聞電子版(2023年12月22日付)によると、欧米とアジアを結ぶ船便で運賃上昇や遅延の影響は、おもちゃの47%、家電や衣料品の40%、化学品の24%、自動車用平鋼板の22%、絶縁電線や電池の22%に及ぶという。これは、われわれの生活に既に影響していることを示している。
今年1月15日には、サプライチェーンのリスク管理を行うResilinc社(本社米国)がスエズ運河やパナマ運河の運航制限について「世界的な小売業者や自動車メーカーのサプライヤーを含むさまざまな業界に影響を及ぼしている」と指摘している。
スエズ運河および喜望峰を通航する船舶数推移(2019年1月~2024年8月)
(注)各チェックポイントを通行する船舶数の日次データを月別に集計。
バブ・エル・マンデブ海峡はイエメンと東アフリカのエリトリア・ジブチ国境付近の海峡
(出所)PortWatch(IMF and University of Oxford, Port Monitor)
こうした中、世界のコンテナ輸送料は昨年12月以降、急激に上昇している。今年前半には若干落ち着いたが、年央以降は再び上昇ペースが加速。足元では、再び低下しているが、今も昨年の3倍近い水準で推移している。新造船や新コンテナの製造により運送能力が今後増えることで、徐々に落ち着きを取り戻すと予想されているが、スエズ運河は中東における紛争リスクが常に意識されている。加えて、パナマ運河は地球温暖化の影響で将来も通行を制限される懸念がある。
地球温暖化や地政学リスクの高まりは、引き続き運賃を押し上げる方向に作用するだろう。台湾海峡や南シナ海も安全な海である続ける保障はない。各国が海運によって幅広くつながっている今、そうした視点から物流ネットワークのレジリエンス(回復力・復元力)を再点検し、備えておく必要がある。
芳賀 裕理